友人が南米の旅を終えて帰国した。
お帰り〜、なお。



なんだか思い出すな
自分が旅してた頃を


もう何年前になるのだろう、
あの時の日記を引っ張り出してみた。





12 Oct  雲南省、中国
誰もいない名所「棚田」に立った私は、動けなくなった。誰もいない。その場所にある空気のもつエネルギーが全て私に振り込んできた。大袈裟なのだろうか、全身の毛穴から溜めきれなくなったエネルギーが外に吹き出していた。青々とした自然の声は全て私に問いかける。心が固まり、足の裏からは上に向かうパワーが猛烈な勢いで押し寄せ、なんだか空をも飛べるくらいフワフワとした。私は決して忘れないエネルギーをまた一つ手にすることができた。

雲南省はもしかしたら中国でないのかもしれない。いや、これが本当の中国なのだろうか。今まで感じてきた中国とは違っていた。どこかで感じたことのあるような暖かさ、目を閉じられないくらい感じたいものがあった。
大理から麗江に向かうバスの中に私はいた。好奇心は溢れんばかりにあるのに、目の前にあるクリアな景色たちが暗くなっていった。
元陽からの移動はハードなバス移動が続いていた。体は疲れており、眠さが襲ってきたのだ。目を必死でこじ開け”私には感じたいものがいっぱいあるんだ”と言い聞かせた。しかしながら体の申し出には逆らうことができず、いつの間にかかすかな眠りについていた。




25 Dec カルカッタ、インド
マザーテレサの建てたマザーハウスに行って来た。静かな路地のドアを開けるとそれまでのカルカッタの汚い、臭い、うるさいインドは一瞬にしてどこかに消えてしまったようだった。
・・・・(略)
朝、シシュババンと言われる孤児の子供達を集める施設を訪れた。ハンディキャップを持った子供たちのクラスだった。ボランティアなんてかっこいい肩書きではあったが、私はただの傍観者にすぎなかった。。。うろたえ、何もできない自分がいた。
涙が出てきた。恐かったのではない、哀れでもない。言葉では決して言い表せないくらいの感情。
顔がそっぽをむいている子供、足が無い子供、目が見えない子供、そのような子たちは今まで何度となく見てきたはずなのに、そこの空気が私の肌に染み付いている神経といえる神経を強く刺激して体の硬直を止められなかった。体の不自由ならまだいい。何も理解できないでただ生きている子供はどうしたらいいのだろう。

西洋人が大きな声でアメージンググレースを歌う。クリスマスイブの日に明るくジングルベルを合唱する。決して悲しいわけではない。わかっていた、すべてそれは体の中からくる感情で、私の考え方次第で楽しくも変えられることを。でも、ありのままの自分の感情で、ありのままの自分のハッピーで、そこには立っていられなかった。

小さな自分に情けなくなり、そこに憤りを感じ、何か足りないを感じた。子供たちにご飯を与える。吐き出して、食べられない子供に無理矢理食べ物を押し込むシスター達、泣きじゃくり抱っこをしてと言わんばかりにしがみついてくる子供。

体は一段と緊張を増して心に息苦しさを覚えるまでだった。ただ単にショッキングという言葉では片づけられない。人生を考えさせられた、自分の浅はかな感情に引け目を感じた、そしてあまりの利己主義に情けなくなった。だけども私自身変わらないのも確かで、世界中の愛を捧げる青年達の思いがうらやましく感じたのだった。しかし、はっきりと言える言葉があった。それは、「産んでくれてありがとう。」という言葉だった。





懐かしい・・・
好奇心溢れる若かりし自分が青くさくて、すっごいまっすぐ。

旅とトレランは似ていると思う、
今トレランでたくさんのパワーを感じているからね
2010/02/21(Sun) 21:50:39 | 日記

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hiroko
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